出会い
blue maple bar

    私と星の出会いは五才の時だった。何故今でもそんなにはっきり覚えているのか。その時、両親は何か教育的なことをしようと思って私を香港の天文科学館に連れて行った。でも、プラネタリウムの切符に「六才以下の子供の入場は禁止される」と書かれていたから、母は「守衛さんに『あなたは何才ですかと聞かれたら、自信のある顔をして、六才だと答えてね」と私に言った。私は何回も練習したけれど、結果は守衛さんに何も聞かれなかったままプラネタリウムに入った。

    プラネタリウムは半球の形状をして、中は真っ暗だった。観客はみんな凭れ椅子に座った二、三分の後、放映が始まった。最初に、館内は自分の指も見えないほど暗くなった。そして、中心にある投影機の動きが始まった。突然、数えきれないほどの「星」が現れて、宝石で飾られたリボンみたいな「銀河」も見えた。しかも、「北極星」を中心として「天球」が徐々に旋転していて、一瞬、「星の海」に呑み込まれそうな感じをした。虚像だけだったけれど、都市で育った五才の私はそんな素晴らしい景色を一度見たこともなかったので、強い衝撃を受けた。その影像も心の奥に刻まれてしまった。

    星や宇宙のことについて興味を持つようになってきたから、両親と図書館に行った時は常に天文学のコーナーに立ち寄って、綺麗な天体の写真にじっと見いった。自分も科学が好き父はもちろん嬉しかった。時々、読みやすいの科学漫画や絵本などを買ってくれた。

    小学校で先生やクラスメートに、君は大きくなると何をしたいかと聞かれた時、私は天文学者は本当にどんなことをするのかを全然知らなかったにもかかわらず、そのたびに本気で「天文学者になりたいだ」と答えた。

    星への憧れが消えぬまま私は大きくなった。十四才の頃、私は両親を離れて、カナダの学校に入って寮に住んでいた。最初の時、誰も知らなかった。でも、星を見た時、この宇宙の何処かで誰かも同時に私を見ていた感じがいつもあった。だから、広い異国の夜空の下一人で歩いても寂しさとかを感じなかった。

    科学の歴史を読めば、昔に人類はずっと地球は宇宙の中心だと思ったていたことが分かる。今はもちろんその理論が誤っていることははっきりしている。その錯誤の背後の意味は、人類の育ったこの地球は宇宙の中では「特別」ではないだろうということだ。だから、私は宇宙の何処かにほかの生物があると思う。そして、私達と同じように喜んだり、悲しんだり、愛したり、憎んだりしているはずだ。

    人間はいつも自分が「理性的」、「文明的」な生物だと考える。でも、それは事実かどうか私は時々疑っている。自分の居場所を破壊していて、先進な武器を作って戦争をして殺し合っているが、そんな行為は「理性的」か?「文明的」か?「この宇宙には理性的な生物があるの証しは、今までもそんな生物が一度地球を訪れることもなかったことである」、そのクオウトを読んだ時、私は本当に笑うべきか、泣くべきか分からなかった。

    キャンパスを歩いて、時々「どうして私は今この惑星で生きているか?しかし、なぜそんな問題を考えられるか」とか思い、おかしい感じになる。考えると、人類は損ばかりしているわけではないだろう。城市を建設して、建物を建てる。周囲のことを一所懸命理解して、宇宙の起源まで色々な問題を研究している。そして、言語を作って、考えることを交流して友達を作る。それは本当に奇跡ではないだろうか。

    今、私も一所懸命この宇宙のことを理解したいから、天文学の専攻をしている。でも、もっと勉強していると、もっとたくさん問題が現れてくるのは普通だと思う。